宗教観の難しさ

 

 こんにちは秋山です。

 

 今回は、宗教観の難しさと癒しについて触れてみたいと思います。

 

 我々の諸生活の中で、宗教の話がタブーとされるのは、ちょっと話しただけで、意見がぶつかり合いやすいからです。

 

 何か特定の宗教に熱心な方がいて、出会って間もないご近所さんに、突然「私の宗教は凄いのよ」と切り出したとして、それを語られた方は、どう反応していいか、答えに困ります。他人に何か話しかける場合に、相手が答えに窮したり、不愉快な感情になるコミュニケーションは、結局、相手が離れていくきっかけになります。

 

 「そんなことは、言われなくてもわかっている」と、皆さん、おっしゃるかもしれませんが、私がたまに訪れるレストランでは、実は、店長が特定宗教の信者であるということを黙っていたのですが、あるとき、タイミングが悪いというべきか、勾玉のアクセサリーを首から下げた人と十字架を下げた人が、お客様として二人で店の中に入ってきました。

 

 私は、そこにいて、当初、気にもとめなかったのですが、それを見た店長はいきなり、「その胸元のアクセサリーを見えないようにしてもらえませんか」と強い口調で怒鳴りました。言われた二人は、最初、キョトンとしていましたが、意味がわからず、怒って出て行ってしまいました。

 

 さて、この場で損をしているのは、一体、誰なのでしょうか。突然怒られた二人の客か、自分の宗教を強気で貫いたものの客を失った店長か、それとも、その両者の様を見て、複雑な気持ちになった私自身なのか。

 

 皆さんは、こんなシーンに出くわしたら、どのように反応し、どのように気持ちを切り替えるでしょうか。私たちは、多くの考え方の違う人と生きる場合に、何を基軸として幸せを求めたらいいのでしょう。

 

 私がはっきり言えることは、人の感情を無視して、和合したり、寄り添ったすることのできない宗教は、結局は、社会を敵にするということです。良い感情で少しでも他人の感情に寄り添うことができれば、人は確実に、幸せに向かい、富を産み、発展します。まず自分が良い感情を持ち、柔軟な思考と広い視野を心がければ、他人の感情に寄り添うゆとりが自然と現れてくると思います。

 

 楽しもうとする人生が、結局、周りを楽しませ、すべてを発展させるのです。

 

 

 

伊勢神宮・内宮

 

天照大御神を祭るこの地。

何度目かの訪問ですが、本当に静かで、真の霊的静寂がある。

自己のざわつきが、浄められます。

 

 

 

 

 

神域は、ただただ静かです・・・。

派手さ、不思議さをしまうのは、心の歪みだと教えているようです。

 

 

 

 

 

橋を渡るのは、生まれ変わるシンボルです。

何を生まれ変わらせるのか、感じながら渡ることです。

 

 

 

気持ちが良いな・・・。

内宮に入ったら、まずここにご挨拶。

神様がお浄めして下さいます。

 

 

 

さあ、内宮です。

偏りのない霊的美しさです。

 

内宮入口右側に、いわくらがあります。

ヤノハヒキノカミ(正殿の守り神)が、まつられています。

気が付く人は、あまりいないようですが、

大事なポイント!!

 

 

 

天照大御神の荒魂を祭っているお宮です。

荒々しい力を鎮めようとする試みは、神社の原点ともいわれます。

 

 

 

ここにも、いわくらがあります。

小さいが、重要な神が宿っているのを、感じる。

ミヤノメグリカミが、まつられています。

 

 

数百年前の年代が記された、ギボシです。

ここに、ずっとあり続けるもの。

伝統こそ、力ですね。

また、伝統と尊敬が一つになってこそ、聖域という場は守られるのです。

 

祈りは彼らに届きます

 

 こんにちは、秋山です。

 

 このところ、立て続けに、UFOに関する本(自分自身の少年期から青年期に至るUFOや宇宙存在との交信記録)をナチュラルスピリット社から出版しました。

 

 この本は、アメリカで、2つの大学院を卒業した元共同通信記者の布施泰和氏のインタビューに答える形をとったものです。

 

 私が当初、超能力少年として注目された頃は、「UFOを呼ぶ少年」という肩書きで紹介されることが多く、「UFOを呼べた、呼べないが、僕のテレビでの勝負だ」と考えていた時もありました。

 

 しかし、現在は、どんな人でも、然るべき方法を真面目に学べば、UFOを呼べることは、ほとんどわかってきていて、決して不思議でもなんでもないという時代になってきました。

 

 確かに、わが国の歴史を調べても、祭事や宗教的儀礼の1つとして、多くの人が深夜、海岸などで、神や精霊と思われていた光の球を呼び出し、たくさんの光球の中で、奇跡的な現象を体験したという話が数多く残っています。

 

 UFOは新しい話題ではなく、私たちの文明に何千年という単位で寄り添ってきた、愛ある高度知性体の歴史が今も続いているという証なのです。彼らは、私たちの自由な、そして幸福な文化的発展を陰ながら見守り、サポートしています。

 

 天上を見上げるときがあったら、「UFOよ、来てくれ」と念じることもよいのですが、「今までも、そしてこれからもありがとう」という、彼らに対する感謝の思念を放射することも、忘れないでください。1分でも1秒でも、その祈りは、必ず彼らに届きます。

 

 

※画像は、秋山氏の描いたUFO

 

 

伊勢神宮・外宮

 

何年かしたら、お宮が移る予定地に縄が貼ってあります。

 

神を移せる力を当時の天皇が示したともいわれますが、

 

こういう大切な事を定期的にやることで、神へのリスペクトを忘れないようになるのです。

 

 

 

 

外宮は偶数、内宮は奇数です。

 

日本特有の数霊の見方、奇数をスペシャルと見るあり方ですね。

 

 

 

カタチのシンクロニシティにパワーを感じ、コインが沢山置かれていました。

 

横たわる地蔵に似てるので、地蔵岩言われてるもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約10年ぶりの再会。横尾忠則画伯と。

 

昔、「ボーダーランド(角川)」という雑誌で、私が顧問をさせていただいていた頃に、

 

横尾先生はレイアウトデザインを、そして角川さんと荒俣宏さんが編集されていて

 

その頃からですので、本当に久しぶりの再会でした!!

 

横尾画伯の若々しさ、質問の鋭さに少しドキドキしました。

 

精神世界の事、UFOの事、死後の世界の事、地震、オリンピック・・・

 

色々なお話をさせていただきました。

 

こんなに理解力のある方が今もお元気でアートを発信されていることが

 

嬉しくてたまりません。

 

横尾先生はすでに「透明体としての心」を得ておられると感じました。

 

それは、言い方を変えれば自由が自然と対立しないという生き様の境地だと思います。

 

感謝です!!!!

 

 

伊勢神宮・外宮

豊受大神をあらためて感じてみようと外宮を丁寧に歩いてみた。

 

外宮のエッジは、とても強い霊氣の脈動を体感した。

 

前泊の宿にいるときから、様々な精霊のファッションショーのような

 

お迎えがあって、夜はほとんど寝られません・・・寝不足です。

 

 

 

至る所に、神域あり。

 

大樹がやさしく寄り添っている。

 

霊氣の感じ方もそれぞれ違う。

 

ここは、清盛楠。

 

 

 

とても古いタイプの鳥居。

 

これを見上げるだけで、本当に気持ちが良いです。

 

目を閉じると薄紫色の霊氣が陽光のように放射されていた。

 

 

 

三っ石、カタカナで「ス」を表す。

 

この石組みは控えめで小さいですが、強力な浄霊力を持っているポイント。

 

行ったらぜひ見つけてください!!

 

スピリチュアリズムの源流

 

 

 こんにちは、秋山です。

 

 今回は、空前の世界的ブームに発展したスピリチュアリズムの源流とも言える時代、1850年代のお話に遡ります。

 

 スピリチュアリズムは、霊性運動などと翻訳され、ある種の広報性、主張性を伴った霊や見えない世界を信じてもらうための運動と捉えられることが多いようです。

 

 その意味においては、1858年にフランスで、スピリチュアリズムをテーマにした新聞『スピリット評論』が創刊されたことが、この運動の始まりであるとアーネスト・トンプソン(イギリス最大のスピリチュアル団体の連合体であるSNUの教育担当理事)は語っています。

 

 この新聞を創刊した人物こそ、アラン・カルデックなのです。

 

 彼は1804年、フランスのリオンで誕生し、教育者としてたくさんの業績をあげました。彼が教鞭をとった内容は物理学、化学、解剖学、天文学にまで広がっています。1855年ごろから、心霊現象に真面目に取り組むようになったといわれています。彼はこの新たなる科学的テーマが、人類の未来を照らす光明になることを主張しました。

 

 その著書『霊媒の書』は、2015年にわが国で本格的な翻訳書が発行され、大変示唆に富んだ内容を日本語で楽しむことができるようになりました。その中で、カルデックは能力者の性質とその分類において、詳細な体系を記しており、その内容は、私の能力者としての45年以上の経験から見ても、とても誠実で、多くのデータと向き合ったことがわかります。

 

 精神世界で、こういったスピリチュアリズムの研究者が、当時ほど、この近代において注目されていない理由はいくつかあります。研究者は、得てして、能力者の上に立ちたがり、コントローラーとして、能力者を味方につけたがる傾向がどうしても拭えず、結果、能力者との激しい対立を生んだり、自分が心酔したり、利益関係のある能力者のみを本物と主張し、己に寄り添わない能力者に対しては、激しく排除、批判する傾向があるのです。

 

 この忌まわしい習慣は、ネットを見る限りにおいても、現代の精神世界に受け継がれていると言わざるを得ません。確かに、能力者は、他人にわかってくれという気持ちが強く、原理主義的な「私は正しい」という主張を、根拠もなく、激しく繰り返す傾向が拭えず、その話を丁寧に聞こうとする研究者に疎んじられる側面があります。

 

 ただし、研究者が一見、喜びそうな話をし、わかりやすい物理現象に見えるようなインチキ手品を披露する能力者モドキに、かえって研究者が騙されやすい気持ちもわからないでもありません。

 

 研究者と能力者が、ともに協和し、きちんとしたメディアシステムを構築できたらよいのにと思います。

 

 

 

 ※画像は、秋山氏の事務所に飾られていた不思議な絵。天使が印象的です。

 

 

あけましておめでとうございます

元旦、0時。

地元の古い稲荷に行きました。

 

電球の明かりがシンプルで美しく、青く見える石の鳥居と

赤い鳥居が、「やすらぎの日本」の原風景を見せていました!

 

稲荷は、動物霊などではありません。

きちんと宗教学を勉強すれば、それがとても古い願望実現と祈念力の神で、

もとは、ペルシャから来ていることがわかります。

 

 

 

 

天神様は、道真様が神格化した天分の運行と学問心理の神。

八雲様は、大氣万象の元素霊質、八力八卦の主神です。

タイミングの奇跡を司る神様です。

みなさまの成功と勝利と安心を祈念します。

 

 

 

荒神様とよく言われますが、「時間」の神様です。

時神、年神を味方にして生きているのが人間です。

時間は敵ではありません。恵みそのものです。タカラモノです。

神と寄り添い生きる、この国の文化は、静けさの中を

宝物を深く知る黄金文化です。

 

 

 

宗教学を学びました!

 

 

 こんにちは、秋山です。

 

 私はこの数年、大学院にて、宗教学を学び、修士論文を書きました。この歳であらためて、学問側の作業を集中的にやるというのは、とてもスリリングな作業でした。しかし、キャンパスで学生気分を再度味わうというのは、甘酸っぱい青春期に戻ったようで、ワクワクするような側面もたくさんありました。

 

 私がテーマにしたのは、在野の超常現象研究家の中でひときわ異彩を放っていた井村宏次氏が、その著書の中で触れた霊術家という明治以降、日本に群雄割拠し、注目を浴びた霊的能力の実践者たちについてでした。

 

 私は、主に大正期に活躍した研究者・実践者に絞って、研究を開始したのですが、当時、そういった人々は、文献を当たると、数万という数で存在し、医師や弁護士、社会教育家など、知的水準の高い人たちが、多いことを知りました。

 

 しかし、学問の対象にすることは大変難しい問題があり、まず、生没年がわかっていること、テキストや記録が残っており、その理論や方術の内容を追跡できることなどが必要でしたので、結局、10名前後の大正期に注目された霊的実践者の人生を追いかけました。

 

 結果、面白かったのは、当時の彼らの心理的な立ち位置が現在のスピリチュアルに関わる日本人の立ち位置と大変よく似ているという点が、浮き彫りにされたことです。私は彼らの主張の中で、その論理展開が、より学問的なものを目指そうとしているのか、呪術的な方法論を伝授しようとしているのかで、学問的志向呪術的志向という具合に、まず2つの方向性に分類しました。

 

 そして、さらにそれと交わるように、彼らが霊的世界や神の意思などの不可知なものに動かされていると信じているのか、それとも自分の法力の呪術性はあくまでも自らの中にある可知論的エネルギーであると考えるのか、これを横軸のベクトルとしました。

すると、当時の霊術家の多くは、可知論に寄り添おうとし、自分の呪術をテクノロジーとして捉え、未知なる力を後々、将来的にコントロールし得るもの、つまり、霊的な力が人類の科学によって、解明されるような性質のものであると考えながら、それでもなお、伝統的な呪術的ヒーリング、願望実現のための祈祷、人生相談などを生業としたことがうかがえました。

 

 現在の我々はどうでしょうか。多くの人が大学に進学し、学問を身につけようとし、基本的には、不可知なもの、神や霊界やオカルトには近づかないよう、非受容的、批判的な態度を取る人が多いのにも関わらず、初詣に行き、墓参りに行き、ハロウィンを祝う、いわば、呪術的な意味で霊的な力との合一や、運の向上を祈り、祭りに関わるということが常態化しています。私たちは気がつくと、可知論の中で生きようとしながらも、呪術的な文化を切り離すことができないでいるのです。

 

 私からすれば、私たちの心の中に、生まれた時から、不可思議な力を、見えない力を常に感じているセンサーが働いていて、それこそがとても人生の幸福において、大切であると知っているからではないかと思います。そういう見えない力と、見える学問の狭間で生きている私たちは、迷える子羊ではなく、実はとても幸せな生き物なのではないかと感じることがあります。

 

 

※画像は、平成27年に世界孔子協会(会長は稲盛和夫氏)が秋山に授与した孔子超能力賞の証書

 

 

 

 

伊豆へ

今日はいつもお世話になっている顧問先の社員旅行で、伊豆稲取へやって来ました。

良いお天気です!!

 

 

 

 

宿の前に広がる、穏やかで美しい海。

オーシャンビューです!

 

 

 

夜の宴会では、ご指名をいただき舞台上で

社員の皆様に、お話をさせて頂きました。

 

 

 

翌日は、街中に祭られていた王子稲荷に訪れました。

海岸の街の祈りのカタチですね。

 

 

何年かぶりの動物園では、時間を忘れて楽しく過ごしました。

カピパラ一家に入れて頂き、記念撮影です・・・。

 

 

親子のホワイトタイガーは、遠い故郷を想っているのでしょうか・・・?

運の良くなる写真ですよ。

 

 

 

キリンのまつ毛は長い?!

このキリンから、私はどのように見えているのでしょう・・・

 

 

つかの間の時間でしたが、大変楽しい時間でした!!