高度知性体が危惧していること

 

 日本政府の責任ある立場の人間が、自衛隊はUFOと遭遇していないなどという真っ赤な嘘を平気で発表しました。好感度の高かった人の発言なので、少しがっかりです。

 

 勉強していなかったのか、わざとなのかわかりませんが、私自身も含め、自衛隊の高官から70年代以降、驚くべきUFOとの遭遇談を聞いていますし、本もたくさん出ています。

 

 元自衛隊員だった人が、自衛隊員の証言を取りまとめて出した本もあり、おもに航空自衛隊、海上自衛隊の関係者が多いようです。元自衛隊員で宇宙存在とコンタクトしている人の話も一人や二人ではありません。私も幾度となくインタビューをしています。

 

 アメリカも多くの人たちが、新型コロナ問題で振り回されているドサクサに紛れて、UFO映像をホンモノだと認めてしまうのは、ある意味、情報コントロールの見事な手口だと思いました。

 

 UFOは、何千年も前から記録があり、地球人を見守る高度知性体の宇宙機であることは疑いようがありませんが、それを主張している人が、あたかも偏った論説のビリーバーであり、妄想に溺れるタイプの人間であるという印象操作が行われて長いです。

 

 高度知性体は未来からやってきており、私たちが科学技術を暴走させ、逆に偏向な偽合理主義を狂信し、愛情や優しさ、真心や思いやりを忘れて自己保身のエゴイズムコールに負けていくことを最も危惧しています。

 

 しかし、それは、私たちが強い意志を持ち、宇宙的真理を求めるならば、必ずやひとりひとりと繋がり、私たちを守り導く存在です。これは宗教ではありません。宇宙的真理であり、事実なのです。

 

 

 ※ 画像は90年代初頭に集英社ヤングジャンプに連載されたアニメがまとめられた本。

   表紙で顎髭に手をあてている男性が当時の秋山。

 

 

 

 

今回の新型コロナウイルスに思うこと

 

 国は、今回の新型コロナウイルスで、メディアとも相まって、右往左往しています。

 

 ある意味、それが国の仕事ともいえるのかもしれませんが、みなさん、ご存知のとおり、昨年の暮れから、ウイルス性のパンデミックが起こり、多くの人がマスクをして歩くような事態になると予言を発表していた私たちからすれば、何を今さらという気持ちも少なくありません。やはり、サイキックの予知能力に関しては、もう少し、耳を傾けてほしいものです。

 

 しかし、こういう時ほど、他者を責めず、自分の心の安心と向上のための学習をぜひ発展させたいとも思います。マーフィーなどの古典成功哲学をもう一度、じっくりと読み直してみるのも面白いですし、やはり、愉快な小説や哲学書・写真集・図鑑などに親しむことも重要だと思います。

 

 良い波動の霊的な情報に触れることは一番の癒しですが、それは、表層的なものではありません。近年、テレビを埋めつくしている芸人の笑いなどは、確かに素晴らしい表現のものもありますが、それは、えてしてメジャーに評価されるものではない場合も多いものです。流行りの表現は、かえって心を虚しくし、笑ったあとの寂しさを助長します。

 

 穏やかに微笑むことができるようなもの、優しい味やうるわしい絵画や文学、そして、なによりもまして、心が和んだ思い出のシーンを古いアルバムなどを持ち出しながら、思い出してみるのも、十分に霊的な力を強化する方法です。

 

 私たちは、過去にも、今にも、未来にも、たくさんの癒しの素材を所有する存在なのです。私たちの力は、今日も、そして明日も健在です。

 

 

 ※ 画像は、秋山が最近読み返している本の一部

 

 

忘れてはならない人々の命がけの歴史

 

 「シンクロニシティ」河出書房新社刊は、新聞広告も出ていないのにもかかわらず、再版され、好調な売れ行きです。読んでいただいた皆さんに、あらためて感謝申し上げます。内容も、三冊分ぐらいの分量を一冊にまとめた本で、読者から賛辞をいただきました。嬉しい限りです。

 

 さらに、同出版社から、「日本のオカルト150年史」が出ます。この手のオカルト史を扱った本は何冊か出ていますが、私自身の70年代からの見聞や、それ以前の明治期からの戦前の研究内容も新発見の事実も含めて、だいぶ吐き出したつもりです。ついつい裏話まで書きました。僕自身が備忘録としても読み返したい内容になり、これも嬉しい限りです。精神世界やスピリチュアルを探求する人はぜひ一家に一冊の本だと自負しております。しかし、すでにネットの中からも消えていった人々の歴史もあり、何度か思いにふける瞬間があり、目頭が熱くなりました。

 

 時間が経つのは早いものですが、忘れてはならない人々の命がけの歴史があります。心ない批判主義の人々の犠牲にならないよう、未来に対する語り継ぎを今後ともしていきたいと思います。

 

 ちなみに、超常現象研究のアインシュタインと呼ばれたジョン・A・キールと博覧強記で有名であった超常現象研究家の志水一夫は同じ日に亡くなっています。宜保愛子さんも亡くなりましたし、2020年に入ってから、我々と共に鼎談集を出した竹内睦泰氏も1月に亡くなられました。批判する人たちは気楽なものですが、叩かれる側の心労がうかがえます。

 

 この世界は、多くの人々の未来への希望といのちの集積なのです。

 

 

※画像はSONY本社で行われた2回目のエスパーサミットの様子

 

 

金沢の白山比め神社へ

 

 

白山比め神社、社殿が晴れていたのが一瞬で雪景色です。

神々しいシンクロニシティに、立ち会えて幸せです。

 

 

 

白山比め神社岩座(いわくろ)です。

昭恵夫人をキクリヒメが守っていらっしゃいます。

 

正式参拝させていただきました。

 

皆で記念撮影です。

 

おのれの体験に素直に生きる!

 

 精神世界は相変わらず活況のようですね。テレビなどでは、暗黙の放送倫理があり、超常現象や霊能力、超能力的なものは、肯定的に扱ってはならないという御触れが出ているそうです。しかし、公正さという面で、あれだけ神経質なテレビメディアが水面下でこんな約束事をしているとすれば大問題です。現在はどうなっているのでしょうね。

 

 しかし、テレビがそんな具合になった現在でも、精神世界の本は売れているし、イベントもさかんだし、かえって活気があるようにも思います。

 

 そもそも、統計をとると、どの時代の人たちも、7割強の人々が、精神世界を信じており、それはほとんどが体験から来ているということがわかっています。実際、生活の中で、シンクロニシティや虫の知らせ、霊的な感覚や人と気持ちが同化するテレパシーのようなことを完全否定することの方が難しいと思いますが、いかがでしょうか。

 

 マスメディアは、少し不自然な縛りに囚われているようにも思います。アメリカの大手大学病院が手かざしを中心とするレイキや瞑想、ヨガを受け入れていることをメディアはどのように考えているのでしょう。

 

 やはり、私たちは、おのれの体験に素直に生きるべきです。生命はそもそも、超自然な力の中にあります。細胞がなぜ分裂し、人はなぜ生きていられるのか。遺伝子の指令だという説明で納得する人々は無理があります。私たちは心身含めて、やはり小宇宙であり、神聖な力に包まれ、日々、生まれ変わりながら、生きているのです。

 

 

 ※画像は人気テレビ番組で超能力の実験をする20代の秋山

原風景

 

 

 私は「原風景」という言葉が大好きです。

 

 ユングは「アーキタイプと名付けたシンボルが人間の心の奥底にあらかじめ潜んでいる」という概念を提唱しましたが、いつ頃、忘れてしまったかわからないが、再び出会うと、胸が激しく鳴る初恋の思い出のような原風景があるものです。

 

 そういう意味で、私の原風景は、実は、延々と広がる田んぼなのです。

 

 小さい苗が整然と植えられたばかりのみずみずしい田んぼには、昔、覗き込むと、タニシがいたり、イモリがいたり、普段だったら、忌み嫌われるヒルまでが、のびのびと泳いでいるように思われたものです。時々、赤くハサミの大きなアメリカザリガニが現れて、なんとか捕まえたいと、興奮したりしたこともありました。その時には、ザリガニが外来種などと区別することもありませんでした。

 

 稲が実ると、一面の黄金色です。どこまでもどこまでも黄金色です。空には、淡いちぎれ雲が流れていて、なぜかボーッとみていると、時間の外側にいるような不思議な気持ちになりました。

 

 しかし、もう1つ、田んぼには、今はなかなか見られない不思議な風景があって、肥料にするためなのでしょうか。刈り取りの後、たくさんの蓮華草の種が撒かれて、あっという間に田んぼは、ピンク色の絨毯に覆われるのです。

 

 この一連の表情の変化が一瞬で蘇ってくるのが田んぼという原風景です。

 

 田舎育ちであることがバレてしまいましたが、そういう自然と人工の中間点のイメージの美しさが実は、僕たち昭和世代の原風景かも!とも思います。

 

 近頃驚いたのは、家の小さい庭の植物の上にアサギマダラという蝶を見たことでした。小学生の頃、森の中をヒラヒラと縫うように飛ぶ、この美しいステンドグラスのような蝶を追いかけて、幾度、迷子になったことか。

 

 生態系がどのように変わったかわかりませんが、その幻の蝶が大都会東京の片隅で楽しそうに「今」を生きていました。

 

 

※ 画像は、事務所に飾っている、私の原風景に近い絵です。

琵琶湖に浮かぶ竹生島

竹生島に上陸しました。

晴れて青空も美しく、優しいバイブレーションに感動しました。

ここは強いバリアがあり、悪いものを受け付けません。

聖域にも様々な個性があり、霊感を働かせながら行動すると

すごく面白い発見がありますよ!

 

 

 

頂上に不動尊がまつられていました。

優しい弁天を守る、強い力があります。

父性的な強さと母性的な強さが共にあるのが、この島の特徴のようです。

 

 

井戸と水がありました。

水の力こそ弁天の力、生命と優しさを守ります。

おかげで、とても元気になりました。

 

 

 

一対の宇賀神さんが出迎えてくれました。

単なるヘビではなく、ものごとを通すきっかけを与える力のシンボルです。

初めての世界に向かう勇気を与えてくれるのです。

国際化に巻き込まれて新しくなる、日本に必要な力です。

 

 

琵琶湖の花火です。

浄化と先祖への癒し。

花火は、弔いと祈りへの熱意をあらわしています。

 

永平寺

 

永平寺の入り口にて。広い参道が続いています。

ゆっくり、ゆっくり、歩きたくなる・・・。

 

 

 

永平寺を巡る。

屋根の下を歩ていてまわれるお寺。

山の中に凄いものを建てた、いにしえの人々の力はスゴイ!!

 

 

 

永平寺の中庭。

自然と同居している修行の場です。

 

 

永平寺門前に稲荷あり。

川に森の緑。癒されます。

祈りの場の力が満ちている。

 

稲荷前に美しい蝶が出現!!

オオムラサキのメスか!?

先祖の導きを感じる。

 

 

苔に包まれた山道。

観音様が見える救いのカタチ。

愛情はすべてを凌駕する

 

 こんにちは、秋山です。

 

 私たちが、恐れを感じる対象は「理解できないもの」にあるということを、今まで、様々なおりに触れてお話しをしてきました。

 

 暗闇、海の底、宇宙の果て、人の心の中、おばけ、怪物etc…。理解できないもの、わからないものは、私たちに激しい恐れを感じさせ、そして、この恐れが手につけられないぐらい膨れ上がり、放置されると、それは、理由のない攻撃心に変わるのです。

 

 この連鎖的反応は、私たちが安らげず、戦いを繰り返す根本的な理由の1つです。平和が大事だと誰もが知っているのに、平和を目指す団体が対立や内ゲバを繰り返したりするのは、とても不思議ですね。

 

 だからこそ、わからないものを解明しようとする好奇心は、真の平和の原動力であるともいえるのです。わからないストレスを好奇心に変え、楽しく勉強する探究心に昇華させるという技術が、情報が複雑化したわかりにくい現代社会には、絶対に必要な平和へのテクノロジーです。

 

 自分の心を楽しくわかろうとしてみましょう。この探求は同時に他人の心を理解する道でもあります。そこにある問題を明確化して、乗り越える方法を考えることを楽しみましょう。自分の心の反応を、楽しんで楽しんで楽しみ抜くのです。すると、自然に恐れが浄化され、気がつくと、幸せな場所に立っているという結果を生みます。

 

 私は以前「愛情はすべてを凌駕する」というユングの言葉を紹介したことがあります。さらにこの言葉を広げましょう。「楽しもうとする心、好奇心、愛情はすべてを凌駕し、戦いを消滅させ、富を生み、人類を強くする」

 

 神が創造の主であるならば、私たちが創造的人生に近づけば、すべての人々が創造体になり、すべてを乗り越える幸せを経験するでしょう。

 

 

 

※画像は秋山の事務所に置かれていた天使の絵

 

 

 

 

神話や神様の問題について

 

 こんにちは、秋山です。

 

 日本的な神話や神様の問題について、触れてみたいと思います。

 

 日本は、海外から、よく、多神教であると言われます。それは、日本人の伝統的宗教である神道が、ヤオロズと言われる多神を教義の中枢に据えているということが挙げられるわけですが、私が思うに、これは、やはり英語と日本語の翻訳に行き違いがあると感じるのです。

 

 そもそも、神道で言う、宇宙の中心的意志であるアメノナカヌシノオオカミを創造主としたならば、そして、それ以外の神々をキリスト教で言う天使や精霊と仮定したならば、意外と、他宗との共通点が見出せる可能性があると思います。日本神道の教えが、古代ギリシャの神話やユダヤの神話に共通点が多いということは、戦前から言われていますが、どうしても、神道側も「諸外国の宗教と我々の神道は違う!」と叫びがちな傾向はあり、共通点が唱えられていながらも、この問題は、いつも平行線をたどってきたような気がします。

 

 精神世界でも、日本人は、ユダヤ人の子孫という主張は根強いですが、では「それはどの種族で、シュメールの血も入っているのですか?」という、より具体的な疑問には、うやむやな答えしか返ってこない人が多いです。

 

 一方では、ユダヤ人の陰謀が日本を飲み込もうとしているという人もいます。それでは日本人は、一体何を、歴史の中で飲み込んできたのでしょう。

 

 私たちは、どうしても、自分たちが惚れ込んだ歴史と宗教をこだわりとしてしまい、信じすぎてしまう傾向があります。しかし、それは単なる文化論で片付けられません。偏った民族論が戦争を生み、たくさんの日本人を殺しました。また、偏った思想が、暴力的学生運動を生み、たくさんの若者が苦しみを経験しました。そういった苦い時代を過ごした我々が、今、老齢化社会という、さらに難しい問題に直面しています。

 

 年を取るということの不安感と孤独を凌駕できるのは、健康食品や流行の医療技術のみなのでしょうか。肉体の老化というさだめを超える、心を幸せにする信仰や思想をもう一度考えてみたいものです。